新元号は「令和」!新元号に湧く今だからこそ気になる、「平成」の誕生秘話。

こんにちは!リリスです。

2019年4月1日、新元号が「令和」であると発表されました。

すっかりネット社会になってしまった現在、令和の由来や発案者、事前の予想合戦、令和という名前の人物などなど、世間は令和フィーバーに沸き立っております。

それに例外なく私も新元号について調べているうちに、私が物心つき始めた頃に改元された「平成」についてふと調べると、その頃の世相もわかりとても興味深く感じてしまったので、それを共有したくてこの記事を書きました。

この記事では、

  • 「平成」の発案者と、「物故」とはなんぞや
  • 「平成」に決まる前に挙げられた他の元号案とは?
  • 「平成」の由来とは?
  • 実は江戸時代の改元案にも「平成」があった?
  • ネットが普及していない当時ならではの、「平成」誕生秘話
  • 「平成」にまつわる、守秘義務的な問題

を、ご紹介していきたいと思います。

お暇な時にでも是非見ていただければと思います♪



「平成」発案者と、「物故」とはなんぞや

最終候補の3案の一つであった「平成」を提案したのは、東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎である[9][3][10]

内閣内政審議室長(当時)として新元号選定に関わった的場順三[9]によると、元号の最終候補3案は極秘裏に委嘱していた山本、宇野精一目加田誠の3氏の提案によるものだという(目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを後に認めている)[11]。『文藝春秋』での佐野眞一の取材に対して、的場は「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」と述べ、それ以前に物故した諸橋轍次貝塚茂樹坂本太郎らの提案はすべて廃案になったとしている[11]

引用元:Wikipedia

Wikipediaのこの記事で気になったこと。

「平成」の発案者が東京大学名誉教授の山本達郎氏であることは、わかりました。(山下達郎みたいだな。)

それよりも、私が気になったこと。それは、「物故」って何?ということです。

私はいたらない知識では、文面から勝手に物故とは「秘密をバラした」人と思ってしまいました(恥)。

しかし、普通に辞書で調べると、「物故」とは「死者」を表す言葉となっているそうです。

物故=亡くなってしまった人の案は縁起が悪いから、採用しないとの方針があるために、昭和天皇の崩御(崩御も亡くなってしまったという意味)前に亡くなってしまった人の案は採用されなかったことがわかります。

「平成」に決まる前に挙げられた他の元号案とは?

在職中であった1985年から1989年にかけて、昭和の次の元号制定準備にも関わり、国内の学者数人へ極秘裏に、新元号の候補作成を依頼していた。的場によるとこの間、10以上の元号候補が集められ、これらが昭和最後の前日となる1989年1月6日から7日にかけて「平成」「修文」「正化」の3つに絞られたという。『国の内外にも平和が達成される』という意味においても「平成」は政府として第一候補だったという。そしてアルファベットを使った略表記の際に「修文」と「正化」ではともにSとなって昭和のSとの区別が難しくなるが、「平成」ならHとなるのでそうした混乱はないことが決め手になった。

引用元:Wikipedia

以上のことから、国内の著名な有識者がその素晴らしい知識を存分に活かし考案した新元号案「修文」「正化」も、結局の所、アルファベット表記という壁に阻まれ、昭和とかぶらないという理由で「平成」になったのは何ともあっけないような。

そもそも、新元号案の決定基準としては、

・明確な理想を込めた意味を持つ。
・書きやすく、読みやすい。
・漢字二文字である。
・過去に使用されてない。
・イニシャルがだぶらない。明治のM、大正のT、昭和のSは避ける。

とあるので、なぜSがイニシャルになる言葉を選んだのか(笑)。

「平成」の由来とは?

新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内(内かに外る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地(地かに天る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である[16]。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」()など、外国の元号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。

引用元:Wikipedia

前項のアルファベット表記の件を考えると、由来の重みがうすく感じてしまうのは私だけ?

もちろん、東大名誉教授が知識あふれる泉が如し、入念に考察を重ねた上で挙げた案であることはわかります。

が!!結局、昭和の「S」とかぶったその他の案に勝つのは、山本達郎氏もさぞ不完全燃焼なのでは?と、好戦的なリリスは考えてしまうのです(笑)。悪いクセだな。

とはいえ、日本国民は太平洋戦争などで昭和の激動の時代を、多くの悲しみを抱え生き抜いてきました。そんな国民の新たな時代への幸福を願い付けられた元号であることには違いありません。アルファベット表記の件ではうすく感じてしまった由来ですが、やはり昭和以前の時代背景を思えば、平和への大きな願いを感じるとても素晴らしい元号であることが感じられます。

江戸時代の改元案にも「平成」があった?

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り[17]、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている[18]

引用元:Wikipedia

なんと!江戸時代の改元案にも、平成があったとは!

パクリや~ん!と思ってしまう(笑)

まあ、しゃあない。歴史は真似て繰り返されるからね。

そこで、ふと興味を持った「慶応」。

元号「慶応」は言わずと知れた江戸時代最後の元号です。慶應義塾大学の由来となった元号でもお馴染みですね。

慶応の時代には、五稜郭が完成したり、「ええじゃないか」騒動が勃発したり、戊辰戦争が起きたりたり、王政復古の大号令が起きたり、なかなかの激動の時代であったわけです。

しかし、この激動の時代の元号である「慶応」を決める時点で「平成」案は、最終の7案にすら挙がらず、日の目を見ることはありませんでした。

ネットが普及していない当時ならではの、「平成」誕生秘話

発表後の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登と内閣官房長官の小渕に贈呈されたが、当時は公文書管理法が制定される前で奉書紙の取り扱いについても取り決めが無かったため一時は行方不明となっていた[21]。その後竹下の孫であるDAIGOが竹下邸に飾られていた奉書紙をテレビ番組で披露[22][23]したことで行方が判明し、国立公文書館が連絡を取り寄贈されることとなった[21]。これを受けて平成の次の元号の奉書紙は最初から公文書として扱うことが決定した[21]

引用元:Wikipedia

あの歴史的に有名な「平成」と書かれた奉書紙が行方不明になっていたとは(笑)。

しかも、当時の内閣総理大臣が記念に持ち帰っていたことを、政府が把握していないことが面白いところです。DAIGOが芸能界で活躍していなければ、未だに行方不明だったのでしょうか。

今回から奉書紙は公文書になったとのことなので、「令和」の奉書紙は国立公文書館に保管されることになると思われます。

関係ないですが、DAIGOって基本チャラさを売りにしているので忘れがちですが、やっぱりすごいお家柄のおぼっちゃまなのですね。北川景子さんも美しさと気高さを兼ね備えている方なので、両家の嫁として申し分ないと私は勝手に思います。

「平成」発表後、それにちなんで命名された団体名や地名などは多い(後述の「平成を冠するもの」参照)。「平成」の選定過程で、政府は団体・企業や個人の名前に使われていないかを調査したが、インターネット検索なども発展途上の段階であったため、元号と同じ漢字表記となる人名や地名の把握は不完全であった[12]

そのため、人名では「たいら しげる」という読みの男性や、地名では「へなり」と読む岐阜県武儀町(現・関市)の小字などが、元号の発表以前から存在した「平成」として確認されている。元号の選定に携わった的場は中華料理店の屋号まで調べていたが小字までは手が回らず、これらの偶然の一致について「仰天した」と回想している[32][12]

引用元:Wikipedia

新元号案の決定基準として、実は「地名にないもの」も含まれているそうですが、ネットが普及していない当時では今のように、グーグル先生をポチッとすれば大抵のことが検索できる状況ではなかったために、思いっきり地名とかぶってしまったのは仕方ないことですよね。

とはいえ、今回の「令和」においても読みも感じも全く同じ人物や、令和を逆にした「和令(かずなり)」と読む、芸能人(メイプル超合金のカズレーザーさん)や、令和と書いて「れな」と読む女の子など、人名に関しては同じ人が結構多いことが興味深いです。意外といるんですね。

ちなみに、カズレーザーさんの本名は金子和令(かねこ かずなり)で、兄と妹さんがおり両親ともに公務員で、実家はイチゴ農家だそうです(笑)。兼業農家ということでしょうか。

「平成」にまつわる、守秘義務?的な問題

なおこの元号制定の経緯、特に考案者については制定時に20年間の極秘事項とされた。竹下登(当時の内閣総理大臣)、小渕恵三(当時の内閣官房長官)らとの会談により、「考案者の名前が出れば、本人にまつわる色々なことからケチがつく。20年は黙っておくこと」として決められたものである[4]。実際に当事者だった的場から「平成」の考案者は山本達郎であることが公表されたのは、改元から26年を経た後のことだった[

引用元:Wikipedia

新たな元号を決めるにも、発案者にネガティブな攻撃が向かないための配慮がなされたのは、素晴らしい配慮であると思います。現在のネット社会にもますます言えることですが、顔が見えないからと好き勝手誹謗中傷するやからはいつの時代もいますからね。

顔を出して、自分が逆に避難されるかも知れないことをいとわず発言している人は立派だと思います(その内容が著しく常軌を逸していなければですが)。でも、心無い避難を浴びせようとするやからはたいてい表舞台には立とうとしませんからね。影でコソコソするしかできない。

そんなやからから発案者を守るのも、政府の役目なのでしょう。政治家や政治活動にあまり良いイメージを抱けないリリスもこういう義理堅い行いを知ると、ちょっとほっこりするというか、日本政府もまだまだ大和魂を忘れたわけじゃないのだと、安心してしまいました。

まとめ

今回は新元号「令和」が発表されたことをきっかけに、「平成」誕生にまつわる当時ならではの誕生秘話を中心に私が個人的に気になったことをまとめてみました。

Wikipediaの引用を多用していますが、Wikipedia本文も大変興味深いことがたくさん書かれており、当時に思いをはせながら楽しく読むことができますので、お暇な時にでもぜひ読んでいただけたらと思います。


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